運動における「不完全ながらの完全」、「不安定ながらの安定」

運動発達という視点からみた場合には、ある運動が「できる」ようになり、毎日その運動を練習し磨きをかけたり「できる」を前提にして試合を行うなどの場合でも、ある日突然「できなく」なったり、何かおかしくなったり、感覚が狂ったり、不安定さが増したり、またそれまでのようにうまく「できなく」なることがあります。これを「できていたものができなくなる」=「スランプ」と呼びます。

この「できる」に向かうプロセスの中では、このようなスランプ症状が出て、「何度やってもできない、わからない、うまくいかないこと」というのをよくみます。このような場合のほとんどが、身体的条件(体格、身長、体重など)や運動の能力的条件(運動感覚、バランス感覚など)が影響しています。また一方では、恐怖感などの情動的問題が「できる」or「できない」に影響を及ぼしていることも多いと報告されています。

練習をするこということは、絶えず自分の運動の感覚、あるいは課題達成との関係で生じる「動感」の状態を維持・管理を意味しているのです。


このように考えると、何かが「できる」という状態は一定不変なのではないといえます。練習をすること・トレーニングをするということは、単に運動を繰り返して運動が定着することを目指すだけではなく、絶えず自分の運動の感覚、あるいは課題達成との関係で生じる「動感」の状態を維持・管理、あるいは確認することを意味しているのです。

発達のどの段階をとっても、身体はひとつのまとまりのある完全体であり、その限りで存在価値をもつと考えられています。この場合、完全体としての身体の姿(構造)は固定化され変化しないのではなく、絶えず完全を目指すようにして変化していくとも考えられています。つまり、完全のようで不完全な状態を示し、また逆に不完全のようで完全な状態だということから、「不完全の完全」という特徴が示されています。また、われわれの身体の機能も絶えず幅をもち、ゆとりをもって一定の状態を保っているからこそ、常に不安定ながらも安定した状態を保っているという「不安定の安定」という特徴が示されています。

「できる」という状態は、一般に良いと言われるような完成され安定した運動や上手な動きだと思えても、常に終わりのない完全や安定が目指される「できる」という状態。


運動が“できる”ということもこのような「不完全ながらの完全」、「不安定ながらの安定」という特性をもち、絶えず揺れ動きながらより良い「できる」に向かって変化し続けるものであります。ここでは完成態としての「できる」という認識はなく、その時点その時点で、完全、安定した「できる」を取り上げたとしても、他方ではまだまだ完成していない、安定していないという面を持ち続けるのが「できる」「できない」の認識であると。このように考えると「できる」という状態は、一般に良いと言われるような完成され安定した運動や上手な動きだと思えても、常に終わりのない完全や安定が目指される「できる」という状態のことを示しています。

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