体操という身体文化

体操と聞く思い浮かぶのがラジオ体操かと思われます。夏休みに子供に早起きをさせるため形式的な行為で、たいして役に立たないと思われているラジオ体操も最近はまじめにやれば結構ハードな運動になるということの意外性で人気になっていて多くの人が学校や職場でやっています。ラジオ体操は究極のエクササイズだと謳う人もいるくらいです。

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もともと体操は、近代化を急いだ明治政府が輸入して、日本に似合わないままお仕着せたものでした。明治になるまで人は生活や労力の中で、あるいは芸術の稽古を通じて鍛えられるのが当然であって、それらから切り離して‘身体を鍛える’ということはしなかったのです。剣の素振りは剣の扱いの稽古であって、腕力を鍛えるためにすることではないとされてきました。しかし体操は、具体的な行為から切り離された純粋な運動として行われています。それが当時の人にはにわかに理解しがたく、なかなか浸透はしなかったとのです。

さらに当時の体操の基本姿勢は、背を伸ばせ、胸を張れ、肩を引け、尻を引け、膝を伸ばせといった堅張った姿勢と運動形式をとっていたのですが、その姿勢が胸にのみ要点をとっていたため背骨が伸び平背になり腰が折れて腹の力が抜け、かえって身体に負担になるということがわかり、体操への反発も生じ、明治末頃から民間で次々と新しい体操が創案されるようになりました。その中でも特に静坐法の岡田虎二郎、息芯調和道の藤田霊斎、強健術の肥田春充などは、胸を中心とする西洋式の体操でわなく、腹を中心とする体操こそが日本時にはふさわしいと主張し、今現在でも伝わっています。
このように身体や人生についての考え方が違えば、考察される体操も違ってきます。鍛錬の意味も、目指すところも、さまざまです。しかしそこにこそ体操の面白さがあると思います。

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