痛みと運動感覚

我々は、視覚に頼らなくても、自分の身体にどのような運動が起こったかを運動によって生じた感覚情報で知ることができます。この「どのような運動がどの程度起こったか」を自らに知らせてくれる身体からの情報を運動感覚と呼びます。
この感覚は、視覚以外のさまざまな体性感覚に「どのような運動が起こったか」についての意味づけが行われたものとなります。
つまり、脳における運動の表象です。
これがなければ、閉眼で自分の身体がどのように動いたかを認識することはできません。

痛みは認知過程を通して学習される

運動感覚は普段認識されることはありませんが、これは体性感覚が主観的・一人称的であるため、その言語化が困難であることと関係しています。
しかし、運動器などに病理が生じることで動きに伴う痛み信号が発生したとき、その信号は強く認識され、運動感覚が痛みに置き換えられます。
つまり、脳において、痛み=動きという意味づけが起こり、これが運動の表象となって記憶されます。
この表象は、いったん形成されると、疾患が改善されても脳に強く残ります。
つまり、痛みは認知過程を通して学習されるものであるということです。

運動感覚と運動イメージ

最近では、この運動感覚が運動イメージと深く関わっていることが指摘されています。
運動イメージとは、実際の運動を行わずとも運動が起こっているような体性感覚を想起できること、すなわち運動感覚を想起することをいいます。
運動をイメージしているときの脳の活動部位が実際の運動を行っているときとほとんど共通していることから、運動をイメージは運動のリハーサルのようなものであると解釈されています。
であるならば、病理的に回復しているはずなのに痛みが起こるのは、運動イメージが痛みに置き換えられている可能性があるということが考えられます。
実際、痛みを訴え続ける人は運動イメージにおいてすら痛みを想起してしまう人もいるようです。

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