身体的メタ認知で運動学習効果を上げる

人間は言葉を使う生き物であり、この「言語化」という行為の力を「うまく」利用しながら身体を考えるべきであるという考え方を活かしつつ、運動学習効果を上げるであろうと考えられているのが「身体的メタ認知」という考え方。

運動学習に関しては、もちろん「身体で覚える」といった感覚的要素が非常に重要になりますが、単に身体を動かしたときの「何となく感じる」体感=「動感」だけに任せてスキルを模索するのではなく、より積極的な意識的努力が必要であるとも言われています。人間は言葉を使う生き物であり、この「言語化」という行為の力を「うまく」利用しながら身体を考えるべきであるという考え方を活かしつつ、運動学習効果を上げるであろうと考えられているのが「身体的メタ認知」という考え方です。

ここでいう「身体的メタ認知」を簡単に言うと、
①身体が体感していることをできるだけ言葉にし、
②言葉領域の推論で新たな着眼点を得て、
③新たに発見した着眼点を視点に加えて再度自分の身体の動きを見つめ直す感覚統合再構築を行う
行為であると考えられています。

自己の体感した内容という「暗黙知」の領域を言語化するのは非常に難しいものだと考えられている。

私たちは、小さい頃から「論理的にしゃべるべき」「話す内容に矛盾があっては駄目」というような教育を受けてきていて、意味のない「言葉にする」行為をあまりいいものにしていないのかもしれません。
特に自己の体感した内容という「暗黙知」の領域を言語化するのは非常に難しいものだと考えられています。

しかしながら、「身体的メタ認知」の考えでは言語化される言葉は、
①完璧に論理的である必要はない
②身体を正確に反映しようとする意図や、そういう言葉をしゃべろうとする必要はない
③第一義的にはあくまでも自分の内省のための言葉であるべき
④他人に伝えてコミュニケーションするための言葉である必要はない
という考え方で「言語化」するものであると説明しています。

つまり、あくまで誰かのために言語化するのではなく、自分がわかりやすいように自分のために言語化してみる。
これが「身体的メタ認知」の第一歩と考えています。

「考えをとりあえず外に出す」というもの。言語化して話すというだけではなく、メモやスケッチもこの「外化」の一種に扱われます。

認知科学の中には「外化」という言葉があります。
「考えをとりあえず外に出す」というもの。
言語化して話すというだけではなく、メモやスケッチもこの「外化」の一種に扱われます。こういった「外化」をすると、外化する前には思いも寄らなかった副作用が外界で起こり、そこに新たな糸口が見えることは多々あると報告されています。受験生が「絶対合格!」なんて勉強机の前に紙を貼っているのも、この「外化」。ようするに考えや自己の体感をとりあえず言葉にすることが肝要になってきます。

身体で覚えるのが「動感」、身体で考えるために「言語化し意識づけして俯瞰でみる」。

合っているか、表現が適切であるか、矛盾しているかどうかは気にせずとにかく「外化」する。そして、それを蓄積する。蓄積しておけば後で再度自分の体感の言葉を俯瞰(ふかん)して考えることができるからです。もちろん「動感」で覚えることが大事ですが、それに言葉でさらに俯瞰して意識づけする。身体で覚えるのが「動感」、身体で考えるために「言語化し意識づけして俯瞰でみる」。「身体を考える」行為において俯瞰は非常に重要な要素であると感じます。

「身体的メタ認知」の考えでは、正しいことをしゃべろうという意識は言葉を日々蓄積することに大きな妨げとなり却ってマイナスと考えます。運動でも、「適切に身体を動かそう」「正しく動こう」と意識することが、結果的に逆にパフォーマンス低下の要因になってしまうことはよくあることです。たとえ運動の言語化を行い一時的に矛盾することを言葉にしたとしても、それは「俯瞰プロセスでは、実際に身体を動かしたときに何らかの不整合が起き、無意識下で勝手に自然な動きへと昇華していくもの」であり、「身体的メタ認知」では正確である必要のないものというように考え、自己に問いかけることで、より効果的な運動学習が可能になると考えられています。

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