ギブソンの視覚性運動感覚について
筋、腱、関節には四肢の運動と位置を感受する受容器があります。
内耳にも頭部や身体の運動と位置を感受する受容器があります。
さらに、皮膚上に存在する受容器も同様で、我々が動く際には手足にある受容器が明瞭に運動の印象をもたらします。
こうして考えるとこれらの感覚受容器は全て、環境と自己の両方に関する情報をもたらしてくれます。
自分自身が動いているという印象はこれら全てに依拠することは知られていますが、アメリカの生態心理学者J.ギブソンは、視覚もこうした環境と自己の情報を獲得するものだと唱えました。
こうした感覚をギブソンは視覚性運動感覚と呼び、身体から起こる運動感覚、身体性(筋肉性・関節性・前庭性・皮膚性など)運動感覚と区別しました。
たとえばコンビニに出かけるにしても、筋や関節、内耳や皮膚から生まれる感覚はコンビニへの移動を正しく導くわけではありません。
「ここ」から「そこ」まで動いたことを知らせてくれるのは視覚であり、これは移動において唯一信頼に値する情報であるとも言えます。
また視覚は、地面に対する全身の運動と、全身に対する身体各部位の運動の両方を補います。
たとえば、歩行運動失調と呼ばれる状態の場合、患者は下半身の運動感覚の欠如により自分の足の位置や運動を感じとることができず、奇妙な足取りで歩くほかなりません。
しかしそれでも、その間に地面や足を見ていれば、スムーズでないまでも立ったり歩いたりできるのです。
つまり、我々の運動は身体性運動感覚と視覚性運動感覚が協応し、そのどちらもが運動の変化や変遷に対する刺激を制御しています。
身体性運動感覚は広範な働きをもちますが、通常は筋機能を調節し先導することにあり、多くの場面で活躍します。
一般には、動作がより複雑でより空間的であればあるほど視覚性運動感覚のウェイトが増すと考えられています。
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