身体運動学では、身体運動の知識体系を「科学知」と「身体知」に区別することがあります。すなわち「科学知」とは「自然の背後に隠されている因果法則を発見し、それが誰にでも妥当するという自然科学的な知識体系」であり、一方の「身体知」は「日常的な経験のなかで、私の動きかたを手探りで求め、その感覚を形態化していく身体能力」として、運動学者の金子によって「動感身体知」と定義され、これらは別種の知識体系であるとまとめられています。
ここで登場する「動感身体知」の存在が、いわゆる「自転車に乗れる、楽器が弾ける、泳げる」といった運動のできる、できないに大変大きな影響を与えていると考えられているのです。
スポーツを行う上での「動感身体知」運動学習に大きな影響を与えるといいますが、この「動きながら感じ、感じながら動く」というのが一番のキーワードになってくると考えられます。
スポーツ運動学では、動く感じが分かる能力である「動感身体知」は、新しい運動ができる能力である「創発身体知」と、他者に新しい運動をできるようにさせる能力である「促発身体知」に分類されています。「創発身体知」は、体感領域と時間化領域をもつ「始原身体知の領域」、「形態化身体知の領域」、「洗練化身体知の領域」があり、それぞれが絡み合って新しい運動が出来るようになる過程を考えています。さらに細かく考えると、「始原身体知」の体感能力には「定位感能力」、「遠近感能力」および「気配感能力」があり、金子は「原点になる能力は定位感能力で、それを起点にして遠近感能力と気配感能力が働き、それぞれは相互作用的に絡み合いの構造を示している」と報告し、「今ここに動きつつ感じ、感じながら動く自己運動の中にしか身体知は住むことができず、外側からは見えないものである」と論じています。
スポーツを行う上での「動感身体知」運動学習に大きな影響を与えるといいますが、この「動きながら感じ、感じながら動く」というのが一番のキーワードになってくると考えられます。自分で動きながら自己の運動を感じる、自己の運動を感じた感覚からまた次の運動が創出される。この繰り返しこそが、運動技能の洗練、いわゆる「巧みさ」「業」へと変化していくのだと思います。
「動感身体の絶対ゼロ点を原点とした、前後・左右・上下」という定位感能力は、「時間化身体知と絡み合い、「コツ身体知」と「カン身体知」の土台を形づくることになる。
さらに金子は、「体感領域とははっきりと区別できる性格のものではなく、同時に混在しながら働き、渾然一体となり互いに作用し合っている。
中でも「動感身体の絶対ゼロ点を原点とした、前後・左右・上下」という定位感能力は、「時間化身体知と絡み合い、「コツ身体知」と「カン身体知」の土台を形づくることになる。」と論じています。当たり前ではあるのだけれども、この「前後・左右・上下」という空間をどう捉え、またそこから生ずる感覚というものが「運動のコツ」や「運動の勘」、つまりは運動学習に通じるものであると考えられているのです。