「動き」は筋肉よりも先に、脳で決まる─運動学習と神経可塑性のリアルな話

トレーナーとして現場に立っていると、何かを「覚える」よりも「忘れる」ことのほうが難しいことに気づかされます。長く染みついたフォームの癖、繰り返し行ってきた非効率な動き、意識してもなかなか変えられないパターン。それらを修正するのに、どれだけの時間と試行錯誤が必要かを痛感します。筋肉が変わるよりも先に、神経がその動きを「もう一度学び直す」準備をしなければいけない。つまり、トレーニングとは「脳を再教育する作業」でもあるのです。

このような動きの変化には、脳が持つ可塑性、すなわち「神経可塑性」が深く関わっています。神経可塑性とは、経験や反復によって神経回路が変化する能力のことです。ある動作を繰り返すことで、関連するニューロンの結びつきが強まり、動きが洗練されていく。逆に、使わなくなった動きは神経的な「配線」が弱まり、やがて忘れられていく。これは単なる例えではなく、脳内で本当に起きている構造的な変化です。

しかし、ただ回数をこなせばよいというわけではありません。同じ動きを1000回繰り返しても、そこに「気づき」や「修正の意図」がなければ、脳は変わりません。むしろ、誤差やエラーを含んだ経験こそが、神経系の再構築にとって重要な栄養になるのです。脳は予測に基づいて動きを制御しており、その予測が外れたときこそ「なぜ違ったのか」と学習が始まります。だからこそ、失敗は排除すべきものではなく、丁寧に扱うべき素材なのです。

選手に新しいフォームを覚えてもらうとき、私たちはしばしば「間違えないように」と指導してしまいます。しかし、それでは学習効率は上がりません。重要なのは「どう間違えたか」をフィードバックし、選手自身がそのズレを修正しようとするプロセスを見守ることです。自分で考え、自分で選び、自分で修正する。そうした「能動的な学習体験」が脳の中に新しい動作の地図を描いていくのです。

この地図の書き換えには、小脳や基底核、大脳皮質など複数の部位が関与しています。特に小脳は、運動のタイミングや誤差の修正に強く関係しており、日々の練習の中で「もっとこうすればうまくいくかもしれない」という微調整を担っています。大脳皮質の運動野は、動作の繰り返しによって活動領域が変化することが知られており、トレーニングによってその「地図」は拡大したり、より効率的な形に再構築されたりします。

また、脊髄レベルでも可塑性は起きており、たとえば姿勢制御や反射の調節がトレーニングによって変化することが示されています。つまり、動きを変えるということは、脳だけでなく、神経系全体がそのパターンに適応していくプロセスなのです。そしてこの神経的な適応は、年齢や運動歴に関係なく起こり得ます。若い選手はもちろんのこと、中高年であっても、新たな動作学習は十分可能であるというのは、私たちトレーナーにとっても励みになる事実です。

一方で、こうした神経の適応には「どんな練習を、どのような意識で行うか」が極めて重要です。何も考えずに流してしまうような反復は、脳にとっては「変化を必要としない安定情報」として処理されます。その結果、回路は強化されず、むしろ現在の癖や問題がより深く定着してしまうこともあります。つまり、脳はサボるのが得意な器官でもあるのです。

だからこそ、私たちは選手にただ「頑張れ」と言うのではなく、「なぜこの動きが必要なのか」「どこをどう変えようとしているのか」を理解させ、意味のあるトレーニング体験を提供する必要があります。脳は、意味のある情報に対して強く反応します。それが神経可塑性を発現させる最大の引き金となります。選手が自身の動作を「感じる」こと、そして「考える」こと。それが脳の中に新たな運動地図を描く第一歩になります。

神経可塑性は、単なる神経科学の言葉ではありません。それは、トレーナーにとって最も実践的で、最も重要な概念のひとつです。動きを見て、修正し、結果が出るまでを導くためには、「筋トレ」だけでは足りません。「脳トレ」の視点が必要なのです。そしてそれは、特別な道具や高度な技術がなくても可能です。日々のコミュニケーション、フィードバックの仕方、課題設定の工夫、それらすべてが脳を変える刺激になります。

選手が動きを変えるとは、すなわち脳が変わるということ。だから私は、どんな些細な変化も見逃さないようにしています。小さな「うまくいった」の連続が、やがて脳を大きく書き換えるからです。その変化を積み重ねることこそが、トレーナーとしての醍醐味であり、責任でもあるのだと、私は日々感じています。

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