近年骨格筋が単なる運動器官ではなく、重要な内分泌器官として機能していることが明らかになってきました。筋肉が収縮する際、筋繊維からさまざまな生理活性物質が分泌されます。これらは「マイオカイン(myokines)」と総称され、筋肉内だけでなく、血流に乗って全身の臓器や組織に働きかけるという内分泌的作用を示します。運動がマイオカインの分泌を強く誘導するという事実は、運動が単に筋力向上や持久力強化にとどまらず、全身の健康維持に多面的に貢献するという理解を裏付けています。
代表的なマイオカインのひとつがIL-6(インターロイキン6)です。従来IL-6は炎症性サイトカインとして知られていましたが、筋収縮に伴い分泌されるIL-6はむしろ抗炎症作用や代謝促進作用を持つことが示されています。Pedersenら(2003年)の研究では、運動後の血中IL-6濃度は安静時の100倍以上に達することがあり、これは筋肉からの分泌によるものであると報告されています。このIL-6は脂肪組織に作用して脂肪分解を促進し、肝臓ではグルコース産生を調整し、免疫細胞にも作用して慢性炎症を抑制するとされています。
また運動によって分泌が促されるマイオカインには、BDNF(脳由来神経栄養因子)やイリシン(irisin)なども含まれます。BDNFは神経細胞の可塑性や新生に関わり、記憶や認知機能の改善に寄与することがわかっています。実際に定期的な有酸素運動が認知症リスクを低下させることが多くの疫学研究で示されていますが、これはBDNFの分泌促進を通じた脳機能への直接的な影響が関与していると考えられています。
イリシンは運動によって分泌されることで知られる比較的新しいマイオカインで、白色脂肪組織をベージュ化し、エネルギー消費型の脂肪細胞に変換させる働きを持ちます。これにより基礎代謝の向上や体脂肪の減少に寄与するとされ、糖尿病やメタボリックシンドロームの予防にも有効である可能性があります。Boström(2012年)の研究では、マウスにおいてイリシンの過剰発現が体重減少やインスリン感受性の向上と関連していたと報告されました。
このように運動によって誘導されるマイオカインの分泌は、代謝、免疫、神経、循環器系といった多岐にわたる生理機能にポジティブな影響を及ぼします。特に中高年においては、マイオカインの抗炎症作用や筋量維持への効果が、サルコペニアや生活習慣病、さらには癌予防にもつながる可能性があり、その意義は非常に大きいといえます。
また最近の研究では、短時間の高強度インターバルトレーニング(HIIT)やレジスタンストレーニングでも有意にマイオカインが分泌されることが確認されています。運動の種類や強度によって分泌されるマイオカインの種類や量が異なることも報告されており、目的に応じた運動処方の必要性が示唆されています。
一方で運動不足がもたらすマイオカインの分泌低下は、慢性的な炎症状態の温床となり、インスリン抵抗性、内臓脂肪の蓄積、うつ傾向の助長など、さまざまな健康障害を引き起こすリスクとなります。特に現代の座りがちな生活スタイルは、筋活動の極端な減少を招き、マイオカインによる恩恵を享受できなくなる大きな要因のひとつです。
筋肉を動かすこと、すなわち運動することは、骨格筋からのマイオカイン分泌を促進し、それが全身の臓器に対して保護的、抗炎症的、代謝促進的な作用を及ぼすというメカニズムが明らかになりつつあります。単なるカロリー消費や筋力増強にとどまらず、ホルモンレベルでの全身制御に深く関与する運動の意義を再認識し、日常的な身体活動を継続することが、現代人にとって最も身近で効果的な健康戦略といえるでしょう。