私たち人間にとって、睡眠は単なる休息時間ではありません。脳と身体を回復させるための重要なプロセスであり、記憶の定着、学習能力の向上、免疫機能の維持、ホルモンバランスの調整など、多岐にわたる機能が関係しています。そのため、たとえ長時間眠っていたとしても、質の悪い睡眠であれば健康に深刻な悪影響を及ぼす可能性があります。そうした睡眠の質を著しく低下させる代表的な要因のひとつが「睡眠時無呼吸症候群(Sleep Apnea Syndrome:SAS)」です。
睡眠時無呼吸症候群とは睡眠中に無呼吸(10秒以上呼吸が止まる状態)や低呼吸(換気が著しく低下する状態)を繰り返す疾患です。医学的にはこれらの呼吸障害が1時間あたり5回以上観察された場合に診断されます(American Academy of Sleep Medicine, 2012)。中でも最も多いのが「閉塞性睡眠時無呼吸(Obstructive Sleep Apnea:OSA)」で、これは上気道が閉塞することによって呼吸が一時的に停止するタイプです。
OSAの発症には様々な因子が関係します。肥満、特に首回りに脂肪が蓄積している人は上気道の閉塞リスクが高く、また顎の構造が小さい、扁桃肥大がある、舌が大きいといった解剖学的要因も関係します(Punjabi, 2008)。さらにアルコール摂取や喫煙も筋緊張を低下させ、上気道の虚脱を助長します。
OSAの厄介な点は、本人が無呼吸状態を自覚しにくいことです。多くの場合、同居家族やパートナーから「いびきがひどい」「呼吸が止まっていた」と指摘されて初めて気づくケースが多く見られます。そのため、多くの人が未診断のまま日常生活を送っており、慢性的な日中の眠気、注意力の低下、抑うつ、作業能率の低下などに悩まされています。実際OSA患者では交通事故や職場での作業ミスのリスクが有意に高いことが報告されています(Young.1997)。
また、OSAは単に眠気を引き起こすだけでなく、長期的には心血管疾患のリスクを大幅に高めることが明らかになっています。睡眠中の断続的な低酸素状態は交感神経を過剰に刺激し、血圧の上昇や心拍変動を引き起こします。結果として、高血圧、虚血性心疾患、心房細動、さらには脳卒中の発症リスクが増加するのです。さらに2型糖尿病との関連も示唆されており、慢性的な低酸素と睡眠断片化によるインスリン抵抗性の悪化が関係していると考えられています。
睡眠の質に関して言えば、OSAでは睡眠周期の中でも特に重要なレム睡眠と深いノンレム睡眠が妨げられることが多く、これが疲労の回復を阻害する大きな要因となっています。レム睡眠中は脳の情報処理が活発に行われ、感情の整理や記憶の固定に重要な役割を果たしていますが、OSAではこのレム睡眠中に無呼吸が悪化する傾向があり、その周期が断裂されるのです。こうした断続的な覚醒が続くことで、脳は慢性的な「睡眠負債」を抱えることになります。
では私たちはどのようにしてOSAに気づき、対処すればよいのでしょうか。まずは日中の過度な眠気(エプワース眠気尺度での高スコア)、早朝の頭痛、集中力の低下、記憶障害、憂うつ感、あるいは気分の不安定さがある場合には、睡眠時無呼吸を疑ってみる必要があります。また寝入りが異常に早い(15分以内)、目覚ましが鳴るまで起きられないという場合も、質の悪い睡眠が原因となっている可能性があります。
診断には終夜睡眠ポリグラフ検査(PSG)が用いられます。これは病院で行う検査で、脳波、眼球運動、筋電図、呼吸状態、酸素飽和度などを総合的に測定するものです。近年では、簡易検査機器を自宅で使用することで、簡易的な診断を行う方法も普及してきています。治療方法としては、軽症の場合には減量、禁酒、睡眠姿勢の改善といった生活習慣の見直しが効果的です。中等症以上になると、CPAP(持続陽圧呼吸療法)という機器を用いた治療が一般的で、これは鼻に装着したマスクを通じて気道に空気を送り込み、気道の閉塞を防ぐものです。CPAPは適切に使用されれば非常に効果的であり、多くの患者で日中の眠気や合併症のリスクが軽減されます(Weaver & Grunstein, 2008)。
最後に睡眠時無呼吸症候群は決して珍しい疾患ではなく、日本国内でも中年男性の約3〜7%が該当するとされており、決して他人事ではありません。自分自身の睡眠の質に目を向け、少しでも異変を感じたら専門医の診察を受けてみることをおすすめします。良質な睡眠こそが、健康を支える最も基本的な土台だからです。